会社案内
トラヤの歴史と伝統
昭和33年 本店の様子
トラヤの創業は大正9年。
初代の秋山寛一が木櫛(くし)の製造販売の店を静岡市6番町に出したのが始まりです。
この頃は日本髪全盛時代。女性にとって衣類の次に必要な物は髪の手入れをする木櫛でした。
昭和3年、市内宮ヶ崎に木櫛の他に袋物、タバコやキセル入れ、財布などの小物を置きました。
開店当初は「秋山寛一商店」でしたが初代の妻、ていの干支がトラ年だった事から「トラヤ」と命名されました。秋山寛一は当時貴重だった自動車(当事市内に20台前後)をフル活用。鞄を積んで市内外を走り回り、現金取引の商売に力を入れました。しかし、戦火が中国に広がった昭和15年、皮革製品の統制とともに一旦は廃業を余儀なくされます。
戦後、焦士と化した静岡市の御幸町で、昭和20年9月からバラックを建てて雑貨商で営業を再開しました。世情もやや落ち着いた昭和25年株式会社トラヤ結成。袋物、鞄を主な商品に絞りました。翌年3月、現在本店のある紺屋町に移りました。ハンドバッグが売れるようになったのは、女性が仕事を持つようになり、化粧品などの物入れとして利用されるようになった為です。昭和34、5年にはハンドバッグがファッションの一つとなり年齢層の幅が拡大され、小売業として確固たる位置づけをされ「鞄・ハンドバッグのトラヤ」と静岡の皆様にご愛顧いただけるようになりました。(※昭和54年中日ショッパー「のれん」の記事より抜粋。)
初代の秋山寛一が木櫛(くし)の製造販売の店を静岡市6番町に出したのが始まりです。
この頃は日本髪全盛時代。女性にとって衣類の次に必要な物は髪の手入れをする木櫛でした。
昭和3年、市内宮ヶ崎に木櫛の他に袋物、タバコやキセル入れ、財布などの小物を置きました。
開店当初は「秋山寛一商店」でしたが初代の妻、ていの干支がトラ年だった事から「トラヤ」と命名されました。秋山寛一は当時貴重だった自動車(当事市内に20台前後)をフル活用。鞄を積んで市内外を走り回り、現金取引の商売に力を入れました。しかし、戦火が中国に広がった昭和15年、皮革製品の統制とともに一旦は廃業を余儀なくされます。
戦後、焦士と化した静岡市の御幸町で、昭和20年9月からバラックを建てて雑貨商で営業を再開しました。世情もやや落ち着いた昭和25年株式会社トラヤ結成。袋物、鞄を主な商品に絞りました。翌年3月、現在本店のある紺屋町に移りました。ハンドバッグが売れるようになったのは、女性が仕事を持つようになり、化粧品などの物入れとして利用されるようになった為です。昭和34、5年にはハンドバッグがファッションの一つとなり年齢層の幅が拡大され、小売業として確固たる位置づけをされ「鞄・ハンドバッグのトラヤ」と静岡の皆様にご愛顧いただけるようになりました。(※昭和54年中日ショッパー「のれん」の記事より抜粋。)
トラヤ社歴
明治42年
初代秋山寛一、
伯父に当る戸塚市太郎商店に従弟奉公に入る。
伯父に当る戸塚市太郎商店に従弟奉公に入る。
大正9年
戸塚市太郎商店より独立、
静岡市6番町にて木櫛の製造卸業を始める。
静岡市6番町にて木櫛の製造卸業を始める。
大正13年
静岡を閉鎖。一家あげて関東大震災復興途上の東京に移転。
浅草にて、櫛・袋物・財布・キセル等の卸業を始める。
浅草にて、櫛・袋物・財布・キセル等の卸業を始める。
戸塚市太郎商店街時代
くし
キセル
煙草入れ
昭和3年
静岡に引き揚げる。市内宮ヶ崎浅間通りに初めて1戸(60坪)を設け、引き続き上記品種と煙草入れの卸し売りに励む。
この年、トラヤの屋号を呼称する。
※秋山寛一の妻(てい)の出生年の干支『寅』に因る。
この年、トラヤの屋号を呼称する。
※秋山寛一の妻(てい)の出生年の干支『寅』に因る。
昭和10年
当時としては貴重な車を、業務用として1,950円で購入。
当時の1ヶ月の生活費は50円前後で、市内には20台程度しか所有されていなかった。
当時の1ヶ月の生活費は50円前後で、市内には20台程度しか所有されていなかった。
静岡市宮ケ崎町店頭
ダットサン・トラヤ号
昭和20~56年
20年 | 戦争のため休業中だった袋物業を再開。 |
25年 | 株式会社トラヤを設立。 |
26年 | 静岡市に紺屋町に本店移転。 |
36年 | 本社ビル完成。 |
39年 | 市内呉服町名店街に支店第1号 「ヂュンヌトラヤ」開設。(現B・crop) |
43年 | 2階売場開設。特選バッグ売場とする。 |
44年 | 初代社長死去に伴い、2代目秋山優、就任。 |
47年 | 本店より北50mに「カバンの店トラヤ」開設。 |
56年 | 静岡駅ビル パルシェ内に店舗開設 |
平成9年~平成29年
9年 | 本店改装 |
14年 | 秋山真吾現社長就任 |
23年 | パルシェ店 リニューアル |
29年 | パルシェ店 リニューアル |
昭和26年 紺屋町本店
昭和33年 本店